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NASAが予告した重大発表はいつもショボい

Q.

【3508】NASA(アメリカ航空宇宙局)は、時たま、もったいぶって重大発表をすると予告しながら、実際には肩透かしの発表をしますよね。例えば、2015年9月28日(日本時間は29日)に発表した「火星に関する重大な科学的発見」とやらは、「現在も液体の水が存在することを示す根拠」でした。今年5月10日(日本時間は11日)に発表した「ケプラーによる最新の発見」というのは、新たに1284個の系外惑星を発見したというものでした。ではここで問題です。今月26日(日本時間は27日)、その表面から水蒸気が噴出している可能性がある(※ハッブル宇宙望遠鏡による観測で捉えられた)ことが発表された、木星の衛星は何でしょう?

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ら抜き言葉 | 先に文法があったのではないのだ。

まずは、ニュース記事。
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「ら抜き」言葉が初の多数派に 文化庁の「国語に関する世論調査」

「ら抜き言葉」がどうたらこうたらという記事を見たとき、いつも思うんだが、動詞の活用について触れとかなきゃいかんでしょ。

五段活用の動詞は、「ら」を抜いたらあかんのやで。
だから、例えば「作る」「走る」「切る」なら、「走れる」「作れる」「切れる」でOK。

ら抜きはダメ、を真に受けて、「作れる」は誤りで「作られる」(※「作ることが出来る」の意で)が正しいと思っちゃう人が出てきたら困りまんがな。

では、五段活用ではない動詞なら、ら抜きはダメなんだろうか。
感覚的には、全部が全部そうとは言えないと思うよ。

いくつか例を挙げてみましょうか。

  • この穴からなら出られるぞ。
  • この穴からなら出れるぞ。

この例なら、「出られる」の方がしっくりくるかな。でも、「出れる」も、そんなに違和感ありまくりというほどではない。

  • テレビに出られるタレントがうらやましい。
  • テレビに出れるタレントがうらやましい。

この「出れる」も、日常会話だったら、まあ、普通の言い方かな。

  • ユーチューブで見られるよ。
  • ユーチューブで見れるよ。

「見れる」はよく聞く言い方だよね。

  • ユーチューブで見られるで。
  • ユーチューブで見れるで。

これだったら、むしろ、「見れる」の方が自然な感じ。

五段活用じゃない動詞だからって、「ら」を抜いちゃいけないと杓子定規に決めつけるのは、現状からするとよくない気がするね。

そもそも、文法っちゅうもんは、世の人々がしゃべったり書いたりしている言葉を収集して、そこから法則性を見出して、まとめあげたものである。

当たり前だが、文法が先にあったわけじゃない。
使われている言葉があっての文法である。

めいめいが自由に使っている言葉を体系化して「文法」としたわけだから、そりゃあ、法則に当てはまらない例外だってあるでしょうよ。

カモノハシは哺乳類だけど卵を産む。それは、母乳で育つ恒温動物なのに胎生ではなかったというだけのこと。
哺乳類の条件をすべては満たさない哺乳類っぽい動物がいても何ら不思議ではない。

「ら抜き」の是非は、個々の動詞によりけりでいいんじゃないの。

だいたい、言葉は移り変わるものなんだ。
「蹴る(ける)」なんて、昔は、未然形が「蹴ず(けず)」、命令形が「蹴よ(けよ)」だよ。
今の「蹴る」の活用なんて、昔の人からすると完全に誤用だね。時代によって「正しさ」も変わるのである。

「言葉の乱れ」というけれど、言葉は道具だから、使い勝手がよくなるように変化するのは仕方のないこと。国語のお偉方さんの理想通りにはならないのさ。

〈早押し〉必ずしも最重要情報を盛り込まなくてもよい。

まずは、適当に早押しクイズの例題を一つ。

【問題】黒澤明監督の映画『夢』ではマーティン・スコセッシによって演じられた、有名な画家は誰?

【答え】フィンセント・ファン・ゴッホ / ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

そういえば、昔の某クイズ番組で、「フランス語では「ゴーグ」、オランダ語では「ホッホ」と呼ばれる画家は? 答:ゴッホ」(※記憶のみを頼りに再現)という問題が出てたなあ。

画家ゴッホについて、誰もが知っていることといえば、代表作『ひまわり』あたりだろうか。
あと、ポール・ゴーギャンとの交流とか、自らの耳たぶを切り落としたこととかが、比較的よく知られているだろう。

で、上記のゴッホが答えのクイズには、問題文に『ひまわり』も「ゴーギャン」も含まれていないのだが、そのことについてイチャモンをつける人はあまりいないだろう。まあ、「『ひまわり』とか言ってくれたら分かったのにぃ」とか言う人はいるかもしれないが。

クイズは原則として問題文の情報のみから答えを導き出すものである。

上記のクイズは、「ゴッホを知っているか」ではなく、「ゴッホに付随する情報を知っているか」を趣旨としている。問題文に『ひまわり』を入れてしまったら、出題のねらいが変わってしまう。

さて、本題に入ろう。

「長文クイズ」にまつわる錯覚の一つに、答えに関する重要な情報を問題文中に入れなければならないというのがある。

そこそこ有名人の人名が答えとなっている長文クイズで、その人物についての最重要事項が問題文から抜けていた場合、つっこまれるのは必至だ。
しかし、上記の例題からも解るように、短文クイズなら言及しなくていい「重要な情報」を、長文クイズでは必ず言及しなければいけないというのは、考え方としておかしいと言わざるをえない。クイズ界の人々はみんなこのことに気がついていない。

長文クイズで、「答えの人物」を知っているかを問いたい問題であれば、その人物についての重要な情報を問題文中に入れるべきなのかもしれない。
でも、その一方で、必ずしも重要とはいえない限られた情報をいくつか並べて、その内容から人物名を導き出すというタイプの「長文」問題があったっていいではないか。

昔、誰かが「最近のクイズは、人名事典の説明文みたいな問題が多くてつまらない」と言っていた。問題文にメジャー(重要)な情報を盛り込まなければならないという縛りがある限り、それは仕方のないことだ。

一人一票ではなく、複数票ってのはどうでしょう?

選挙の投票制度について一家言を持つ人は多い。

例えば、当選してほしくない候補者の名前を投票用紙に書く「マイナス投票」を導入してはどうかという意見はテレビとか巷でよく聞く。

そこで私も考えた。というか、ふと思いついた。

有権者1人につき1票だけというのをやめて、1人で3票とか5票とか複数の票を入れられるようにするのはどうでしょうか。

我が国だと、よりどりみどりの左翼政党の中から1つしか選べないのを残念に思っている人も多いでしょう。1人5票も持ってりゃ、そんな悩みはほぼ解決しますよ。

もちろん、5票すべてに同じ候補者氏名・政党名を書くのもアリね。
1票だけ書いて、あとは白票でもOK。でも、それじゃあ、権利の行使としては損だけどね。

あと、小さな政党に票が入りやすくなるのも良い事だ。

えっ、そんなに何枚もの投票用紙に書き込むのは面倒くさいだって?

手書きで候補者氏名・政党名を投票用紙に記入するような時代遅れのやり方をやめればいいのさ。いまだにそんなんやってるのは、ほぼ日本だけらしいで。

年齢によって票の枚数を変えるのもいいかも。
原則5票として、18歳・19歳は3票、90歳以上は2票、100歳以上は1票にするとかね。

何かを目指している人は『サザエさん』を観ない

私も子供時代はたくさんのテレビアニメを観たが、そのすべてをワクワクしながら観たわけではない。
惰性で観ていたアニメも結構ある。

例えば、『まんが日本昔ばなし』(と、『クイズダービー』)なんか、『8時だョ!全員集合』とチャンネルが同じだから、ついでに観てただけだったなあ。(当時はリモコンのテレビではなかったからザッピングはあまりしなかった)

毎回楽しみだったのは、『トムとジェリー』とか、『ルパン三世』とか。

評価の高い『ゲゲゲの鬼太郎』は、申し訳ないけど、ぼーっと観てただけだった。

そんな自分のことはさておき、ネットで次のような記事を見つけました。

お金持ちから社畜まで!『サザエさん』を毎週観ている人たちとは?

『サザエさん』って、何が何でも観逃したくない、チャンネル争いをしてでも観たいというような番組ではないですよね。
特にやる事もない人が見る番組です。
面白くないとまでは言わないが、観られなかったとしてもそんなに残念じゃないでしょ。

難しい資格試験を控えている人とか、クイズプレーヤーみたいに、時間がいくらあっても足りない人は『サザエさん』なんか観ません。

睡眠、風呂、歯磨きなど、本当にやりたい事以外に、やらなきゃいけない事は多いです。それらの時間を削ろうにも限界はあります。
どうやって時間を捻出するかを考えた時、『サザエさん』を観るなんてのは、真っ先にやめるリストに入れるべきものです。

お金持ちだろうと社畜だろうと、『サザエさん』を毎週観ている人たちというのは、暇人です。

早押しについて | キーワードあっての助詞

Q.

【2960】6月6日に放送された日テレのバラエティー番組「超頭脳トレード」の中で、字幕表記で「故人」として紹介されてしまった、かつてプロ野球、東映フライヤーズの投手だったという経歴を持つ、現在80歳の俳優は誰?

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普通の読書家は名数・多答を全部言えない。

クイズプレイヤーと、一般の博識な読書家とは、似て非なるものである。
どちらも豊富な知識の持ち主と言えるのであろうが、持ち合わせている知識の傾向は異なる。
両者の違いをものすごく単純に表現すれば、「覚えている人」と「知っている人」となるだろう。

「競技クイズ」未経験の物知りな人が、クイズの「オープン大会」にチャレンジしたところで、“玉砕”するのが関の山だ。知識のアウトプットには慣れが必要なのである。

クイズプレイヤーとそうでない人とで、とりわけ差がつくのは「多答クイズ」だ。

いくら本をたくさん読んでいても、よほど入れ込んだジャンルでもない限り、名数を全部言えるようにはなりにくい。

「知る喜び」で自然に身につく知識も多いが、「多答」(特に答えの数が多いもの)はそうではない。
暗記作業をしなければ多答の全部を言えるようにはならない。

問題と答えが「一対一対応」のクイズは薄っぺらく、全体を分かっているうえで答えを導き出すタイプのクイズの方がなんとなく上級のような印象があるが、博学な読書家と親和性が高いのはむしろ前者だ。
後者はクイズ用の勉強をしないと対応できない。

幅広い知識の持ち主は、必ずしも多答を全部言えるタイプの人ではないのだ。

知らないことを知る、これぞクイズの醍醐味、というのは、クイズのほんの一面にすぎない。少なくとも多答にはあまり当てはまらない。

《余談1》
クイズ界には問題作成能力に長けているのにプレイヤーとしての成績が芳しくない人がいるが、そういう人は「クイズ」では測れない物知りなのであろう。

《余談2》
実を言うと、クイズ界では多答好きは少数派なのではないか。なんとなくそんな気がする。クイズプレイヤーといえば、名数を全部答えられる人というイメージがありそうだが、実際はそうでもない。