だいぶまえに映画『博士の愛した数式』を観たが、寺尾聰扮する数学の博士が数字に強く、約数なんかすぐに分かったりする描写を見ると、数学者というものは計算が大得意な人種であるという誤解がますます広まるのではないかと思った。
数学ができることと計算が速いこととは別のものである。計算が苦手な数学者だっている。ガウスやノイマンなどすごい計算力の持ち主もいるにはいるが、計算力があったり暗算が速かったりするからといって数学者になれるわけではない。
世間一般の人でも、大学の数学教授が、そろばんの名人みたいに桁数の多い数字の暗算が瞬時に出来てしまうようなタイプの人とは違うことは想像できるでしょう。高いレベルの数学では数字より記号を扱う量の方が多いのです。
とはいえ数学にも様々な分野があって、膨大な計算をこなさなければならないものもありますけど。
そういえば森毅がこんなことを書いていた。数学科の仲間とよく行く雀荘があったが、そこの店番の人が森毅らを数学の人だとは全く気付かなかったと言っていたそうだ。点数計算をしょっちゅう間違えていたからだ。
で、映画『博士の愛した数式』。原作の小説を読んでいないのでよく分からないが、原作とは話の進め方が随分違うらしい。約2時間の映画では小説の内容全てを表現することはできないのでそうしたのでしょうな。
中学校の数学教師になった、家政婦(深津絵里)の息子(吉岡秀隆)の髪の毛が寝ぐせで立っていたのは、ますます「ルート」になったということかな。
それはそうと、後で分かっていちばん驚いたのは、少年野球の監督を演じたのが、『どですかでん』で六ちゃんを演じた頭師
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