私が企画を担当したクイズサークル「椿」(つばき)の例会2回分の会報が完成しました。
例会の実施日は、平成29年6⽉11⽇と令和2年10⽉10⽇です。
我ながら自信作です。ぜひご購入ください。
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《どうでもいい余談》
答えに関する重要事項をあえて問題文に記述しないクイズのことを私は「引き算のクイズ」と命名しました。
私が企画を担当したクイズサークル「椿」(つばき)の例会2回分の会報が完成しました。
例会の実施日は、平成29年6⽉11⽇と令和2年10⽉10⽇です。
我ながら自信作です。ぜひご購入ください。
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《どうでもいい余談》
答えに関する重要事項をあえて問題文に記述しないクイズのことを私は「引き算のクイズ」と命名しました。
Q.
【6821】《3択問題》
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ユーザーが創作物を販売できるネットショップ作成サービスといえば、次のうちのどれでしょう?
早押しボード(早押しボードクイズ)という、すっかり定着したクイズ形式があります。
早押しとボードを組み合わせた形式で、得点は、押して正解なら ±(プラスマイナス)3、ボード正解なら ±1 というのが一般的なルールです。
(※かなり省略した説明です)
ところで、この早押しボード、最初に行われたのはいつなんでしょう?
私が思うに、それは、
1994年(平成6年)2月27日にTBSの『THE・プレゼンター』枠で放送された、『史上最強のクイズ王決定戦・全国選抜サバイバルマッチ』の準決勝だったのではないでしょうか。
(※『史上最強のクイズ王決定戦』の特別編です)
▼参照ページ
【Wikipedia】史上最強のクイズ王決定戦・全国選抜サバイバルマッチ
でも、私が知らないだけで、もしかしたら、早押しボードのような形式は、それ以前のもっと昔から、当たり前のように行われていたのかもしれません。
本当のところは分かりませんが、少なくとも、私がクイズを始めて間もないころは、私の周りには早押しボードなる形式は存在していませんでした。
最初かどうかはともかく、「クイズ界」で早押しボード(略称:早ボ(ハヤボ))が定番化するきっかけとなったのは、平成6年2月27日に放送された『史上最強のクイズ王決定戦』の特別番組の中で行われた早押しボードクイズ(*)であるというのは、おそらく間違いないでしょう。
(*)同番組では、押して不正解の場合は、マイナス3ではなくて、1回休みだったようですね。今の一般的な早ボのルールとは違っています。全然記憶にありませんでした。
平成6年のあの日以降です。早押しボードが各地で当たり前のように行われるようになったのは。
確かなことは、「長文クイズ」なるものが影も形もない時代から、早押しボードは存在していたのであります。
「誤答」論議が賑やかなので、ちょっと乗っかってみます。
なにやら、2年ほど前から、クイズプレイヤーの間で「誤答」ルールへの対応の仕方が変わったそうです。
例えばナナサンなら、2バツまではオッケーというルールをほんの序盤から最大限に活かすという戦略が主流になっているとのこと。
うかうかしている間に対戦相手に先んじられてしまうくらいなら、最初から前がかりでいくのもアリかもしれない。
でも、早々と2バツを背負うのはやっぱり不利です。
なぜって、2バツじゃなかったら(失格のリスクがない状態だったのなら)押して正解できたのにぃ、という場面がしょっちゅうあるからです。クイズプレイヤーなら皆、そういう経験があるでしょう。
クイズをやっていたら、「うーん、確実に正解という自信はないけど、多分、あれが正解かなあ?」という設問によく出くわします。誤答する余裕がある状態なら、100%正解の自信がなくても正解して得点を積み重ねていくことが出来る場合が多いのです。これが、「あと1バツで失格」状態だと、なかなか押しにくいものです。
「nバツ失格」ルールの早押しクイズの1セットにおいて、各プレイヤーの正解可能な問題の数は、序盤に背負うバツの数によって大きく変わってくると言えます。
最近多忙で巷のクイズ論にはすっかり疎くなっているのですが、「3万語」が議論を呼んでいるようです。3万は決して少ない数字ではないけどクイズに枠をはめるのは不可能ですからね。「3万問」と取り違えている人がいるかも?
ある時事クイズの正解者がゼロだったからといって、解答者がその時事をチェックしていなかったとは限らない。正解を答えられるほど記憶に刻んではいなかったが、見覚えならあるという場合も多い。
日々生産される、クイズ的には無意味なネタも大量に含んだ膨大な情報の中から、適当に見つけた時事ネタをピックアップして、それをクイズに加工して出題して、「意外に正解者が少ない」とか言う人がいるが、そんなこと言われたって、他にもチェックしなきゃいけないネタがいっぱいあるんだもん、しょうがないじゃん、あなたとは違うんです、というのが、解答する側の認識だ。
よく見聞きするが、詳しい内容は知られていない事柄について、一歩突っ込んだ内容を問う事が、クイズ界では良い事のように語られているが、出会う情報の全てに立ち止まってはいられないのだから、恣意的にピックアップされた深い知識とやらを知らない・覚えていないというのは仕方のないことだ。
人は、同じ情報源に触れていても、注目するネタはそれぞれ異なる。クイズプレイヤーとてそれは同じ。
ある1つのネタに同じ頻度で触れていても、初期にそのネタに注意を払うかどうかによって記憶の定着度は全然違ってくる。
以下、図解してみる。
ある1カ月間、全く同じ新聞とニュースサイトを読んでいる2人の人物、「Xさん」と「Yさん」がいると仮定する。
クイズで重要そうなある1つの時事ネタを「A」とする。
その他もろもろの情報は「■」で表す。
時の流れは、→(左から右)。つまり、右端が1カ月後。
【Xさん】
■A■■■■■■■A■■■■■■■■■A■■A■■■■■■■A■■■■A■■■■■■■■■■■■A■■■A■■■
【Yさん】
■A■■■■■■■A■■■■■■■■■A■■A■■■■■■■A■■■■A■■■■■■■■■■■■A■■■A■■■
早い段階でAに着目したXさんは、その後、何度も目にすることになるAを誰もが知っているベタだと思い込むようになる。
Yさんも、Xさんと同じ頃にAについての記事を初めて読んだが、特に興味を持つことはなく、そのまま読み流してしまった((※読んだ直後は記憶に残っている)。以後、Yさんは、Aを一度や二度ほど目にしたくらいでは、Aについての記憶は定着しない。何回も目にして、やっと、そういえば、Aってのがあるなあ、と思うようになる。
このように、XさんとYさんはAという情報を同じ頻度で触れているが、Aについての認識は大きく違うのである。
というわけで、出題者が「簡単な時事問題なのに意外と正解者が少ない」と思ってしまうのは錯覚である場合も多いのである。
余談。
以上のことは時事以外にも当てはまる。
ある人が問題集でしょっちゅう見ると言っていても、別の人にとっては「そうか?」と思うような“ベタ”も往々にしてある。
まずは、適当に早押しクイズの例題を一つ。
【問題】黒澤明監督の映画『夢』ではマーティン・スコセッシによって演じられた、有名な画家は誰?
【答え】フィンセント・ファン・ゴッホ / ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
そういえば、昔の某クイズ番組で、「フランス語では「ゴーグ」、オランダ語では「ホッホ」と呼ばれる画家は? 答:ゴッホ」(※記憶のみを頼りに再現)という問題が出てたなあ。
画家ゴッホについて、誰もが知っていることといえば、代表作『ひまわり』あたりだろうか。
あと、ポール・ゴーギャンとの交流とか、自らの耳たぶを切り落としたこととかが、比較的よく知られているだろう。
で、上記のゴッホが答えのクイズには、問題文に『ひまわり』も「ゴーギャン」も含まれていないのだが、そのことについてイチャモンをつける人はあまりいないだろう。まあ、「『ひまわり』とか言ってくれたら分かったのにぃ」とか言う人はいるかもしれないが。
クイズは原則として問題文の情報のみから答えを導き出すものである。
上記のクイズは、「ゴッホを知っているか」ではなく、「ゴッホに付随する情報を知っているか」を趣旨としている。問題文に『ひまわり』を入れてしまったら、出題のねらいが変わってしまう。
さて、本題に入ろう。
「長文クイズ」にまつわる錯覚の一つに、答えに関する重要な情報を問題文中に入れなければならないというのがある。
そこそこ有名人の人名が答えとなっている長文クイズで、その人物についての最重要事項が問題文から抜けていた場合、つっこまれるのは必至だ。
しかし、上記の例題からも解るように、短文クイズなら言及しなくていい「重要な情報」を、長文クイズでは必ず言及しなければいけないというのは、考え方としておかしいと言わざるをえない。クイズ界の人々はみんなこのことに気がついていない。
長文クイズで、「答えの人物」を知っているかを問いたい問題であれば、その人物についての重要な情報を問題文中に入れるべきなのかもしれない。
でも、その一方で、必ずしも重要とはいえない限られた情報をいくつか並べて、その内容から人物名を導き出すというタイプの「長文」問題があったっていいではないか。
昔、誰かが「最近のクイズは、人名事典の説明文みたいな問題が多くてつまらない」と言っていた。問題文にメジャー(重要)な情報を盛り込まなければならないという縛りがある限り、それは仕方のないことだ。
Q.
【2960】6月6日に放送された日テレのバラエティー番組「超頭脳トレード」の中で、字幕表記で「故人」として紹介されてしまった、かつてプロ野球、東映フライヤーズの投手だったという経歴を持つ、現在80歳の俳優は誰?
クイズプレイヤーと、一般の博識な読書家とは、似て非なるものである。
どちらも豊富な知識の持ち主と言えるのであろうが、持ち合わせている知識の傾向は異なる。
両者の違いをものすごく単純に表現すれば、「覚えている人」と「知っている人」となるだろう。
「競技クイズ」未経験の物知りな人が、クイズの「オープン大会」にチャレンジしたところで、“玉砕”するのが関の山だ。知識のアウトプットには慣れが必要なのである。
クイズプレイヤーとそうでない人とで、とりわけ差がつくのは「多答クイズ」だ。
いくら本をたくさん読んでいても、よほど入れ込んだジャンルでもない限り、名数を全部言えるようにはなりにくい。
「知る喜び」で自然に身につく知識も多いが、「多答」(特に答えの数が多いもの)はそうではない。
暗記作業をしなければ多答の全部を言えるようにはならない。
問題と答えが「一対一対応」のクイズは薄っぺらく、全体を分かっているうえで答えを導き出すタイプのクイズの方がなんとなく上級のような印象があるが、博学な読書家と親和性が高いのはむしろ前者だ。
後者はクイズ用の勉強をしないと対応できない。
幅広い知識の持ち主は、必ずしも多答を全部言えるタイプの人ではないのだ。
知らないことを知る、これぞクイズの醍醐味、というのは、クイズのほんの一面にすぎない。少なくとも多答にはあまり当てはまらない。
《余談1》
クイズ界には問題作成能力に長けているのにプレイヤーとしての成績が芳しくない人がいるが、そういう人は「クイズ」では測れない物知りなのであろう。
《余談2》
実を言うと、クイズ界では多答好きは少数派なのではないか。なんとなくそんな気がする。クイズプレイヤーといえば、名数を全部答えられる人というイメージがありそうだが、実際はそうでもない。