競技としてのクイズは他の勝負事と比べると、極めて特殊な面がある。それは、クイズには、クイズのための努力をした者が勝つことが喜ばれない風潮があることだ。
昨年までの「知の甲子園」路線だった『高校生クイズ』は、ガリ勉しか優勝できないなどと批判されていた。これはまさにクイズならではのことだ。
例えばテニスの大会で、「ひたすらテニスの練習に打ち込んでるヤツしか優勝できないなんておかしい」「普段テニスをしない人でも勝てる大会にするべきだ」という意見が出るだろうか。もしそんなことを言う人がいたら、頭がおかしいと思われるに決まっている。
ところが『高校生クイズ』のこととなると、クイズをしない人が勝てないのはおかしいという意見がまかり通るのだ。
クイズに関して上記のような偏見がある理由をいくつか挙げてみよう。
- 世の中の全てのジャンルを扱っている(ことになっている)。
- 明確な統一ルール、出題範囲が存在しない。
- 擬似とはいえ視聴者が参加できる。
- ガリ勉に対する偏見。
- クイズ用の勉強をしないと勝てない。
5.について説明する。もしも『高校生クイズ』に出場するクイズサークルの面々(クイズプレーヤー)が、市販のクイズ本に書いてある勉強法のように、新聞・雑誌をマメにチェックしたり、街の看板などに気を配ったり、あらゆることに好奇心を持ち読書にはげみ、気になる単語は自分で調べたり、といったようなことを重点的に行い実力アップを図っているのであれば、一般視聴者の多くはクイズプレーヤーが勝つことに不満を感じないであろう。
そういえば昔の『高校生クイズ』の本に、クイズ対策として「お母さんと一緒に台所に立って、いろいろ手伝ってみよう。たくさんのことが学べるはずだ」というようなことが書いてあった。このような勉強をしているのならクイズプレーヤーは偏見を持たれないにちがいない。
一般視聴者が『高校生クイズ』に出ているクイズプレーヤーを好ましく思わない最大の理由は、クイズのためだけの勉強をしていることなのだ。その勉強とは具体的にいうと問題集を読むこと。
問題集を読まない高校生チームは勝てないとなると、視聴者は興ざめだろう。
俳句、書道などの“甲子園”では、それらに打ち込んでいる生徒は「よくがんばってるなあ」とほほ笑ましく見守ってもらえるのに、高校生クイズの「知の甲子園」で勝つための努力が評価されないのは、《クイズの勉強ニアリーイコール問題集の内容を覚える》という図式がまだまだ市民権を得ていないからなのだ。(このことについては、いつかまた書く予定です)
1.~4.については、また別の機会に書くことにする。(書かないかもしれませんけど)
余談。
『高校生クイズ』に関する賛否両論は、「クイズ(quiz)」の定義が人によって違うことに起因するのではないだろうか。
個人的な意見を言わせてもらえば、競技としてのクイズに「体力」をもとめるのは変だと思う。なぜなら、quizという英単語にそのような意味はないからだ。
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