Q.(死去した人物について)
【3272】言葉遊びが多く日本語への翻訳は不可能とも言われていたジェイムズ・ジョイスの小説『フィネガンズ・ウェイク』を独自の造語を用いて翻訳し、日本翻訳文化賞など受賞した、その他にも、エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い』、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』などの翻訳で知られる英文学者、翻訳家、随筆家で、猫好きであり、また、羽生善治との共著を出版するなど将棋ファンとしても知られたのは誰?
【3273】7月31日、大相撲の第58代横綱「千代の富士」の九重親方が亡くなりました。さて、千代の富士の次女であるファッションモデルは誰でしょう?
【3274】『王様と私』『ウエスト・サイト物語』『マイ・フェア・レディ』などのミュージカル映画で歌声の吹き替えを担当し、「最強のゴーストシンガー」「ハリウッドの声」「ハリウッドを救った陰の立役者」などと呼ばれるアメリカの歌手は誰?
※『王様と私』『ウエスト・サイト物語』『マイ・フェア・レディ』では、それぞれ、デボラ・カー、ナタリー・ウッド、オードリー・ヘプバーンが歌う全曲を吹き替えた。
【3275】マルタ・アルゲリッチが第1位となった1965年のショパン国際ピアノコンクールで第4位となり、日本人としては田中希代子に次ぐ2人目の同コンクール入賞者となったピアニストで、著書に『ピアニストという蛮族がいる』『アルゼンチンまでもぐりたい』などがあり、夫が芥川賞作家の庄司薫であることでも知られるのは誰?
A.
【3272】柳瀬尚紀(やなせ・なおき)
【3273】秋元梢(あきもと・こずえ)
【3274】マーニ・ニクソン
【3275】中村紘子
▼その他、物故者まとめ
7月21日
【阪田誠造(さかた・せいぞう)】
建築家。1951年、坂倉準三建築研究所入所。
代表作は「東京サレジオ学園」「新宿サザンテラス」など。
7月24日
【近藤富枝(とみえ)】
作家、エッセイスト。代表作に『本郷菊富士ホテル』『田端文士村』など。『宵待草殺人事件』『鹿鳴館殺人事件』というミステリ作品も著した。
昭和19年からNHKアナウンサーを務めたが、敗戦を機に退職。
1981~82年放送のNHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』の主人公・桂木元子(演:原日出子)のモデル。
夫は軍事史研究家の土門周平(どもん・しゅうへい)。
【杉山高子】
グラフィックデザイナー。昭和44年2月25日に創刊された『夕刊フジ』の題字をデザインした。
7月25日
【山本正光】
大麻取締法違反(所持)の罪に問われていた末期肝臓がん患者。山本氏は「大麻はがん治療に有効である」と無罪を主張していた。
7月27日
【エイノユハニ・ラウタヴァーラ[フィンランド]】
現代音楽作曲家。代表作に、鳥のさえずりを使用した協奏曲「カントゥス・アルティクス(北の歌)」や、交響曲第7番「光の天使」などがある。
【秀島弘(ひでしま・ひろし)】
セレッソ大阪の選手寮「パウサ寮」の名物寮長。
もとは、有馬温泉の老舗旅館、兵衛向陽閣(ひょうえこうようかく)の総料理長だった。
7月30日
【吉野ゆりえ】
本名、吉野由起恵(ゆきえ)。元ダンサー。筑波大学在学中に「ミス日本」となった。
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の「ウリナリ芸能人社交ダンス部」コーチや、東京都立八王子盲学校のダンス部「八盲マルベリーズ」の顧問を務めた。
希少がんのサルコーマ(肉腫)を患い、「日本に「サルコーマセンターを設立する会」」(略称:JSCP)の代表を務めた。
8月2日
【太田大八(だいはち)】
絵本作家。代表作に『かさ』『ながさきくんち』『だいちゃんとうみ』など。
8月4日
【清水成駿(せいしゅん)】
競馬予想家、評論家。
1972年、明治学院大学経済学部卒業後、競馬専門紙の「1馬(いちうま)」(現「優馬(ゆうま)」)に入社。35歳の若さで編集長に就任。同紙の人気コラム「スーパーショット」で、人気薄の馬に本命の印を打つ「孤独の◎」の予想家として注目を集めた。2001年退社。
2007年の日本ダービーで、3番人気だったウォッカに◎を打ち、的中させた。
『東京スポーツ』で予想コラム「馬單三國志」を連載。
8月12日
【武邦彦】
元競馬騎手で「ターフの魔術師」と呼ばれた。
1973年の菊花賞でタケホープに騎乗してハイセイコーを鼻差で下し優勝。
1974年の皐月賞で、史上初の単枠指定を受けたキタノカチドキに騎乗して優勝。
1976年の有馬記念からトウショウボーイの主戦騎手を務めた。
三男は武豊、四男は武幸四郎。
【小松幹生(みきお)】
劇作家。代表作に『雨のワンマンカー』や、水上勉の作品を脚色した『ブンナよ、木からおりてこい』など。
8月13日
【ケニー・ベイカー[英]】
俳優。身長112cm。「スター・ウォーズ・シリーズ」で「R2-D2」役を演じた。
8月14日
【豊田泰光(とよだ・やすみつ)】
元プロ野球選手(遊撃手)。西鉄ライオンズの黄金時代に主力選手の1人として活躍。1956年、パ・リーグの首位打者に輝いた。1962年のオフに国鉄スワローズへトレードされた。
現役引退後は辛口の野球評論家として知られた。
茨城県立水戸商業高等学校時代、3年生だった1952年に夏の甲子園に出場。
【歩平(プー・ピン)[中国]】
日中関係史専門家。中国社会科学院近代史研究所所長を務めた。
2006に開始された日中の歴史共同研究で中国側座長を務めた。
著書に『日本の中国侵略と毒ガス兵器』など。
コメントを残す