人間ではないものをこのコーナーに分類するのは変かもしれませんが、血縁であることに変わりはないですし、まあいいかと思いまして、ここに持ってきました。
競馬を取り上げたページもありますけど、あっちは多答ですから。
日本調教馬
§ 牡馬
◆平成三強
オグリキャップ
1987年、笠松競馬場の鷲見昌勇(すみまさお)厩舎に入厩。
父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母の父シルバーシャーク
スーパークリーク
1989、90年、史上初の天皇賞秋春連覇を達成。
父ノーアテンション、母ナイスデイ、母の父インターメゾ
イナリワン
GIでは1989年、天皇賞(春)、宝塚記念、有馬記念で優勝。
父ミルジョージ、母テイトヤシマ、母の父ラークスパー
◆TTG
トウショウボーイ
“天馬”“お助けボーイ”。15戦10勝。
父テスコボーイ、母ソシアルバターフライ、母の父ユアホスト
テンポイント
“流星の貴公子”。1978年第25回日本経済新春杯でレース中に骨折。手術には成功したが、蹄葉炎を発症し死去。
父コントライト、母ワカクモ、母の父カバーラップ二世
グリーングラス
“第三の男”。1976年、TTGが初めて顔を揃えたレースである第37回菊花賞で優勝。
父インターメゾ、母ダーリングヒメ、母の父ニンバス
◆未分類
タニノムーティエ
アローエクスプレスとのライバル関係は「AT対決」と呼ばれた。
父ムーティエ、母タニノチエリ、母の父ティエポロ
ハイセイコー
引退記念盤としてポリドールからレコード『さらばハイセイコー』(作詞:小坂巌、補作詞:山田孝雄(たかお)、作曲:猪俣公章、歌:増沢末夫)が発売された。
父チャイナロック、母ハイユウ、母の父カリム
メイセイオペラ
1999年フェブラリーステークスを制し、地方所属馬として初めてJRAのGI優勝馬となった。
父グランドオペラ、母テラミス、母の父タクラマカン
コスモバルク
ホッカイドウ競馬に所属しながら中央競馬にも多く出走し、JRAの重賞を3勝。2006年、シンガポール航空インターナショナルカップ優勝。
父ザグレブ、母イセノトウショウ、母の父トウショウボーイ
サッカーボーイ
1988年、函館記念(芝2000m)を1分57秒台のコースレコードで優勝。
父ディクタス、母ダイナサッシュ、母の父ノーザンテースト
メジロマックイーン
1991年、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く「父子3代天皇賞制覇」を達成。
父メジロティターン、母メジロオーロラ、母の父リマンド
モンタサン
寺山修司も熱心なファンだった。みのもんたの「もんた」の由来。
父モンタヴアル、母リユウリキ、母の父ヒカルメイジ
グランドマーチス
障害の実績で選出された唯一のJRA顕彰馬(1985年)。
父ネヴァービート、母ミスギンオー、母の父ライジングライト
マルゼンスキー
持込馬ということで日本ダービーを初めとするクラシックへ出走することができなかった。8戦8勝。
父ニジンスキー、母シル、母の父バックパサー
トウカイテイオー
前年の有馬記念より1年ぶりの出走となる1993年の第38回有馬記念で優勝。
父シンボリルドルフ、母トウカイナチュラル、母の父ナイスダンサー
カブトシロー
1967年の天皇賞(秋)と有馬記念に優勝。“新聞の読める馬”。
父オーロイ、母パレーカブト、母の父イーストパレード
キーストン
1967年の阪神大賞典で左前脚を脱臼し、予後不良と診断されて安楽死の措置がとられた。(昏倒した山本正司騎手を気遣うような様子が美談として語られる)
父ソロナウェー、母リットルミッジ、母の父Migoli
キタノカチドキ
1974年皐月賞で、史上初の「単枠指定馬」になった。
父テスコボーイ、母ライトフレーム、母の父ライジングフレーム
レオダーバン
1991年セントライト記念で、JRA最後の単枠指定馬となった。(結果は3着。1着はストロングカイザー)
父マルゼンスキー、母シルティーク、母の父ダンサーズイメージ
トキノミノル
デビュー当時の馬名は「パーフェクト」。10戦10勝。破傷風で急死。“幻の馬”。
父セフト、母第二タイランツクヰーン、母の父ソルデニス
§ せん馬
◆GI勝利馬
レガシーワールド
1993年、河内洋騎乗のもとジャパンカップ制覇。
父モガミ、母ドンナリディア、母の父ジムフレンチ
マーベラスクラウン
1994年ジャパンカップに勝利し、日本調教馬のせん馬として史上2頭目のGI制覇を達成。
父ミスワキ、母モリタ、母の父ハーバープリンス
トウカイポイント
2002年マイルチャンピオンシップを制覇。これはトウカイテイオーにとって産駒初のGI勝利。
父トウカイテイオー、母マッチポイント、母の父リアルシャダイ
§ 牝馬
◆未分類
ミオソチス
寺山修司が愛した馬。アローエクスプレスの半姉。
父メイヂヒカリ、母ソーダストリーム、母の父Airborne
ハルウララ
管理調教師は高知競馬場の宗石大(むねいし・だい)。113戦0勝。
父ニッポーテイオー、母ヒロイン、母の父ラッキーソブリン
ヒシアマゾン
デビュー年の1993年、阪神3歳牝馬ステークスで2着ローブモンタントに5馬身差をつけて圧勝。
父シアトリカル、母ケイティーズ、母の父ノノアルコ
エアグルーヴ
1997年、牝馬としてはトウメイ以来26年ぶりのJRA賞年度代表馬に選出された。
父トニービン、母ダイナカール、母の父ノーザンテースト
ヒサトモ
1937年、東京優駿大競走(現・東京優駿(日本ダービー))で、牝馬として初めての優勝。
父トウルヌソル、母星友、母の父Sir Martin
クリフジ
11戦11勝。主戦騎手は前田長吉。
父トウルヌソル、母賢藤、母の父チャペルブラムプトン
海外調教馬
《編集中》