昨日の産経新聞夕刊(関西エリアでは夕刊は廃止していないのだ)のコラムに裁判員制度のことが取り上げられていた。裁判員を務めたことによりストレス障害になってしまった人がいたそうだ。
だいたい裁判員制度なんか、よからぬ問題点があることは始まる前に十分予想できてたのだから中止するべきだったのだ。やってみて「こんなはずじゃなかった」と初めて問題点に気付くような制度なら施行してしまうのも仕方ないけど。
「市民感覚を反映させる」だって?
司法試験に合格するような頭脳の持ち主は頭がいかれているというのは偏見だよ。
それに、市民にだって変人はいるでしょ。
フツーの人に裁判員をやらせたいのなら、裁判員制度以外の方法があるよ。
「裁判員」をつとめるのが仕事の新しい職業を作るのだ。名称は「裁判士」なんかどうだろう。担当する裁判がない時は、弁護士事務所かどこかで雑用をしたりしてね。
採用するにあたって最も重視するのはフツーであること。これで市民感覚を標準装備した人だけが「裁判士」になるよ。
当然、筆記試験や口述試験は司法試験みたいに難しくしすぎてはいけない。だって、そんなのに合格するのは「市民感覚」がない人が多いんだもん。そうなるとまた「裁判員制度」をつくらなきゃ???
コメントを残す